喫茶店のカタチを探ってみる(初級編)


地の利、という言葉があります。
自分が執筆時に重宝しているGOO辞書にいわく、

有利な地理的条件。
「―を得て発展する」「天の時・―・人の和」
――は人の和(わ)に如(し)かず
〔孟子(公孫丑下)〕どのように土地の形勢が有利であっても、人心の和合団結の堅固なのには及ばない。

とある。
果たしてくつろぎの時間を果たすだけでなく、商談や打ち合わせにも重宝する喫茶店。
どの様な内装、BGM、もてなしを図るものか、探って行きたいと思います。



 はたしてコーヒーの始まりはイスラム修道者の祈とうに役立たれ、彼らの生活範疇を越えて都市部まで浸透したとあります。
 そのとき開店したコーヒーハウス、政治的論争や不穏な謀の温床として、宗教世論の両側から圧力がかかりました。
あえなく廃業。

やがて十七世紀。
イスタンブールからヨーロッパ各所に伝えられ、薬から嗜好品の道を歩むにしたがって大反響。
楽しいは勝ち、という格言が(漫画の売り文句だった覚えもある)ここでも生かされておりますが、
まあ楽しいことから爪弾きにされたご婦人方から『コーヒーに反対する婦人嘆願書』なるものが提出され、やがて勢いを失ってゆきます。
フランスではルイ14世が一部企業に専売権とか与えてしまった。
ヨーロッパのコーヒーハウス、あえなく頓挫。

カフェ第一号は文化の都パリから。
露天や祭りの出店から始まったコーヒー屋は1686年、フランソワ・プロコープという名前で開店いたしました。
タペストリーや鏡、大理石をふんだんに扱った内装は今日の喫茶店、その先駆けといえましょう。
程なく百軒単位で増えてゆくカフェ、比較的際立った争い事も無く、穏やかにコーヒー文化が発展してゆく。
まあ、同時期イギリスは新手の飲み物紅茶が脅威を見せておりましたが。



はたして、諸国激動の喫茶店文化。
繁栄と衰退、出店と閉店、人は何故争いを繰り返すのかと深く想いをはせる所存でございますが、
まあこの東洋のちっぽけな島国、日本。
明治初期から始まったコーヒーハウスは後期に成熟し、『カヒー一杯一銭(同牛乳入二銭)』は前述した漁師のおっさんたちの消費もあいまって黄金期を迎えます。

でもね、この国は本物の戦争があったんだ。

第二次世界大戦勃発。
舶来品の輸入禁止が始まるとあっという間に市場から消え去るコーヒー豆。
文化的な飲み物コーヒーがどちらかというと体育会系的ノリの戦争で失われるという諸国に恥ずべきコーヒーの歴史をたどってしまった祖国、日本。

やがて戦後復興の際、土方仕事のおっさんたちが甘いものをほしがり、大量の砂糖と牛乳を入れたコーヒーを好んだことから怒涛の勢いでカフェも戦後復興。
日本人のガッツがすごかったのか、珈琲の価値が不動の物であったのか。
果たして高度経済成長の際、インスタント・コーヒーやら缶詰の珈琲やら実にこの国らしいあり方と、過分に米国くさい大量諸費歓迎振りでコーヒーの消費量があがってゆく。

今では缶コーヒーの蓋にミニカーが付いてる。
コレはまごう事無く日本的であります。



なんだかまた話がそれている気がします。
鎖国の長かったこの国が文明開化の折に、諸国のコーヒー文化を見逃すことなく、実に節操無く吸収していった結果多様な喫茶店が現れては消えてゆく。
結論といたしましては、世界の珈琲歴史に目を向け、いくばくかでも理解してゆくことが喫茶店の趣を理化する鍵となるのではないでしょうか。
もっとも現代日本は和喫茶もあるし、メイド喫茶もあるのだが(後述)

果たしてビジネスマン諸氏もパワーランチはほどほどに。
あと道端で女性にアンケートを求められてもほいほい喫茶店について行かないよう。
喫茶店を戦場にしないように。

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