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アーチャーは、三人分の涙と寝汗を吸い込んだシーツを手洗いしている。
屈辱だ、『その気になればたった一人で世界の勢力地図を塗り替える男』と呼ばれた彼が、タライに向かって洗濯板に挑んでいるとは。
ボコボコの頭で思案する、なぜ洗濯機を使わないのか。
ひとえに横暴な主の命令に他ならないのだが。
(恐らく凛は、自分が洗濯機など無い時代の英霊と想いこんでいるのだ)
彼の生まれ育った時代には、家電三種の神器どころかエアコン・液晶テレビ・身体自動洗浄服まで存在したというのに。
(修理だって出来るぞ!)
自分で自分を誇ってみる、風が傍らにある洗剤のふたを閉めた。
寒空の下に追いやられたアーチャーを、リビングの窓をたたいて主が呼び戻す。
真水ですすぎ、物干し竿に干す。
呼ばれてからたっぷり十分かけて、彼はあたたかな屋根の下へ戻った。
「遅いわよアーチャー、シャワー浴びて髪乾かすまでちんたら時間かけてシーツ洗ってるんじゃないよもう!」
「ああァ、すまないなァ、何せ愛しい主の命ィ?、真ッさらにするまで洗いつづけなければ気が重くて仕方が無い」
寒気にはためく洗い立てのそれをあごで指し示すアチャ。
あれはシーツだ白旗じゃねえぞ。
ついでにメンチを切ってやった、一触即発の事態が巻き起こる寸前である。
「まあ、腹が減っているから怒りやすくなるのだ、食事にしよう凛」
台所へ赴くアーチャー、それを不機嫌そうに見送る凛もリビングのテーブルに置かれた熱々の紅茶を口にして気持ちを切り替えた。
さまざまな出来事が一夜にして起こった昨日、新たなお供を連れて根城に舞い戻った彼女は、疲れた頭を振り絞りながら今後の方針をまとめた。
一つ、聖杯戦争へ参加する心構えを忘れないこと。
一つ、この地の管理者として邪魔をする輩は徹底排除すること。
一つ、戦闘以外に必要とされる魔力は各々で工面すること。
最後の一つが、最大の難問。
ある程度の単独行動が許されるアーチャーのクラスと違い、セイバーのスキルをもつアルトリアは、許される限り眠り続ける事で魔力の消費を押さえなければ成らなかった。
それでも、寝台を共にするならば、最も無防備な就寝時を護衛できるとあり、またセイバーのほうも生身に触れることで主から若干の魔力をシェアできる。
理想的な共存関係。
ならばなぜ、アーチャーは二人の寝床にもぐりこんだのか。
魔力が惜しいのならば地下の魔方陣に収まっていればいい。
寝ぐるしいならばソファーでも使えば良かろう。
(ああ、成るほど)
ここで、凛はある一つの結論に至ったのだ。
「人肌恋しかったのね、アーチャー」
アチャは冷蔵庫に首を挟んだ。
「でもいけないわ、嫁入り前の娘のベッドに忍び込むなんて紳士としてあるまじき行為よ、現代の法でも極刑に値するほどの」
その体制のまま、冷凍室をばしんばしんと開け閉めする。
いずれ野菜室に引きこもりそうな勢いだ。
「まあ、寛大な私としては今後の働きを見越して特別に許してあげなくもないでちゅよ?アーチャーたん」
私を乳飲み子扱いか小娘が!
この『名前を聞いたら恐怖で子供もたちどころに泣き止む』と表された英霊を相手に!
冷蔵庫から首を引っこ抜く、探り当てたきのこの傘をかみ締めて、涙を耐えた。
前世、死刑執行寸前に聞いた罵詈雑言のほうが、少しはましな仕打ち。
かといって、己の前世を肯定することは出来ぬ。
とりあえずくわえたきのこに感謝した。
さて、場所を移してここは遠坂亭地下、代々伝わる秘密の工房。
あつらえたのが魔術師らしい、荘厳かつ静粛な場である。
そこで正座する金髪の少女、湯を浴びた後、ここで瞑想の一つでも行おうと足を運んだは良かったものの。
魔方陣の上に、銀色に光る金属の物体を発見した。
なべに似ている、だが何故、何故そのようなものがこの場所にあるのか。
たしかに、薬草を煮るために釜があってもおかしくない、ここは魔術師の巣。
だが、遠坂の魔術は力の移転、発動であり、使うのは主に宝石と聞いた。
それでも、なべ。
鏡面は自分の顔が映るほど磨き上げられ、ともすれば宝石にたとえられなくも無い。
だがしかし、なべ。
これは主の魔術であろうか。
セイバーがいぶかしげにそれに触れる、何かのスイッチなのだろう。
つまみを回すと、それはものすごい勢いで蒸気を噴出した。
「凛!急いで脱出を」
目にもとまらぬ速さで、セイバーがリビングに掛けこんでくる。
「なに、敵襲!?」
紅茶が湛えられたカップが、絨毯の上に落ちた。
「いえ、私の落ち度です。
軽はずみに手を触れてしまったために、貴方の魔具が暴走しました」
ちょっと涙ぐみながらセイバー、主の肩に手をかけて、先日修復したばかりの屋根を突き破る。
高く飛ぶ、結界の外、彼女の家から遠く離れた児童公園へと。
------だがしかし。
「セイバー?私の工房に今、暴走しそうな道具なんて無いわよ?」
「は?」
裸足で帰る二人の少女。
再び屋根をふさいでいたのか、半霊体のアーチャーが天井からさかさまに顔を出す。
「ただいま、アーチャー」
「失礼しました、アーチャー」
苦笑いで出向かえる赤い騎士、先ほど洗濯をしていたタライに少し熱めの湯を張っておいた。
助かる、冬のアスファルトは正直冷いなんてもんじゃない。
「誰かに見咎められなかったかね?」
「多分大丈夫よ」
トレードマークのニーソックスを手繰り寄せて、凛は言う。
うなだれた騎士王の頭をなでながら、件の魔具とやらの正体を問うた。
「ああ、それも私の仕業になるのだろうが」
リビングに備えられた机の上、それが鎮座ましましている。
「------圧力鍋だ、炊事場の奥底に眠ってた品を、私が発掘した」
かくして、卓の上に料理が並ぶ。
キツネ色に焼けたトーストにはアーチャー手製のバターとママレードが添えられ、白身にだけ火が入った目玉焼きには見事なまでの円を描き、付け合せのアスパラとトマトが鮮やかな色の三原色を彩る。
しかし、セイバーの視線はそのような雑兵にとまることは無かった。
ただ、その中心にある銀色の要塞、此度の戦における大将が納まるなべの形をした砦。
それだけに集中していた。
「さあ、その蓋を開けなさいアーチャー。
雑な品が入っていたら、即刻私の剣で一刀両断にしてあげます」
己の失態は、自身に狭量を生んだ。
それは、事の運びによっては物理的暴力となって現に表れるだろう。
嗚呼セイバー、鍋だけですめば良い、鍋だけですめば良いのだ。
だが、この料理は彼、アーチャーがいいとこ二時間で仕上げた代物。
想像に硬くない、有事の際は恐らく運命をこの鍋と共にした彼の、伊達にまとめた自慢の白髪が------
------マルガリータだ。
「味付けを失敗したつもりは無い、選ぶ事こそ出来なんだが素材にも抜かり無く手を入れた。
後はこの鍋がそのポテンシャルを遺憾無く発揮し……君がこのありふれた献立を許すかどうかだ」
先の事故で蒸気はすでに抜けている、ゆっくりと外蓋を開き、内蓋を開き。
部屋に、食欲をそそる香りが充満した。
「……シチューね」
凛の落胆も然り、確かにそれはありふれたメニューである。
即席ルーさえあれば小学生でも炊事遠足の定番に挙げるほど、日本の食卓に定着したメニュー。
「た、唯のシチューではないぞ!
小麦粉と牛乳で一から仕立てた私の自信作だ……どうだ、セイバー」
青年の弁護がむなしく響き渡る、時間にして三十を数えるころ、セイバーは口を開いた。
「食してから判断することにします、給仕なさい」
真珠の如く輝くソース、口にすればそれはブイヨンと絡み合い、まろやかさと旨みのダンスを踊ることだろう。
だが、これ以上の形容を並べることは避ける。
セイバー、この料理は、初見でない。
しかし、見ただけでどのような味かわかるはずが無い。
(刺激臭はありませんね)
生前、たびたび配下の手によるシチューを口にしていたが、かつては、鮮度の落ちた肉をごまかすために、舶来のスパイスをふんだんに使った煮込みを口にした。
あれは食えたものではなかった、もう辛いだけ。
(そう、同じ煮込みなら火の通りが重要です。
隙は、そこにあるはず)
芋を、にんじんを、ざく切りのたまねぎ一つ一つ匙で分断してゆく。
どれ一つとっても、抵抗無くストンと切れた。
だがそれこそが彼女への反旗、この皿の中では洗練された野菜の部隊が騎士王の勝利を拒んでいる。
真っ向からは責められぬ、ならば肉だ。
弱点を突く、騎士としては恥ずべき行為だが敗北は許されぬ、それこそが恥、最後まで諦めぬのが騎士道。
------さく。
(------うわ〜!)
あっけなく切れた、それはもう大ぶりな肉を選んでスプーンを立てたのに、だ。
敗色は濃厚、もはや味でとどめを刺されるのみ。
震える手で、口元にもって行く。
はむ、こくこく。
------史実では語られぬ、最もわかりずらい騎士王の敗北である。
無心に食べつづけるセイバーから放たれる幸せオーラで、ようやく食卓に穏やかさが舞い戻る。
「しかし良く見つけたわね、これ私が自炊はじめたときに衝動買いしたやつよ?」
たいていのものは家に有った、しかし気合を入れて事に励むべく、伴侶として選んだいくつかの器具。
包丁のように日々使うものなら熟知しているが、結局これの扱いは身に成らなかった。
得意とするのは食材をそろえてスピード調理が真骨頂の中華、一人暮しなら尚のこと。
「なに、退屈だったのでな、面白い玩具が有ればつい使わせてもらうのも道理」
だが、料理は趣味ではないと口を挟むアーチャー、絶対うそだ。
どういうからくりか、推測するに就寝前に仕込みを終えたと想うが、ここまで具を柔らかく煮込むこの鍋は?
パンを食いちぎりながら疑問を口にするセイバー、それでも行儀の悪さを感じさせないのは見事。
少し笑みを見せて、鍋の構造を説明するアーチャー、少し懐かしそうな表情は、生前妹のような女性がそばにいたのか、あるいは妻の面影を見ているのか。
(まてよ?)
まて、すこしまて。
凛は自分の考えに没頭する。
サーヴァントは召喚される際、その世界で不自由しないだけの一般教養が与えられるはず。
だが、セイバーを持って『万能の釜です』とか言わせる程度には、この鍋の構造は複雑。
自分も扱いがままならぬこの鍋、どうしてアーチャーは使える?
「アーチャー、お代わりを所望します」
「ああ、それなんだがセイバー、この鍋は2人用でな。
見たところ残り一杯分なのだが、主をおざなりにしても所望するかね?」
場の空気が凍りついた。
からかったつもりだろうがアーチャー、それは挑発ととられたようだ。
このリビングで聖杯戦争を起こさせるわけにはいかない、おまけに同士討ち。
その高速思考は、まったく逆のベクトルに移行する。
「あ〜、セイバーそのくらいになさい。
もともと私は朝食食べない主義だし、食べちゃいなさい」
そう言われて、どうにも血の気が多い自分を恥じる騎士王。
「でも、ほどほどにしていたほうが良いでしょうね。
今夜は外食しましょ?なんだか予想外の方向に事が運んでいるから、一日中町を散策するわ。
おさんどんしている暇は無いわよ、アーチャー」
「いや、だから好きでやっているわけではないというのに」
場をとりなしてもらった手前、そう強く出られないアーチャー、ほほを描く。
「で、シチューの作り方は思い出しても、真名は思い出せないのねアンタ」
食器を片付けるたくましい背中、セイバーの挑発はたじろいでも凛の挑発は動じないのか。
結局散漫になった思考回路は復帰せず、直球勝負で疑問を口にするも。
わかっている、結局はぐらかされて終わりということは。
「さて、王の器じゃないことはわかったがね」
「ついでに中世の英雄でもないわね」
気がついたか、と神経を尖らせる、それが直に、自分の正体へ結びつかないとはわかっていても。
現代で英雄など呼ばれる人物が、おいそれと生まれないのも事実。
「いえ、本人の前で言うのもはばかられますが、アーチャーは一角の騎士であったと断言します」
腹が満たされて上機嫌のセイバーが、先の態度を覆さんばかりの主張をする。
「あれほどの料理を作れる腕前、私ならばケイを押しのけてでも円卓の座に加えることでしょう」
……まあ、都合戦争の無いときにはアーサー王の世話をしていた連中も居るが。
このTIME誌にも『表紙に載せざるを得ない』と評された札付きの悪党を配下に加えようとするとは。
よほど耐えかねた食事事情だったのだろうと、アーチャーは内心苦笑いするのである。
そんな 夢の おわり
『圧力鍋』over
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